須賀川市人物読本 先人のあしあと -098/134page
員会をつくらせました。この人たちに政府のお金をかして、そのお金で自分のやけたりこわれたりした家を建てなおし、一日も早く産業をさかんにさせようとしたのです。
伝右衛門は、須賀川の生産方の一人(ひとり)に選ばれました。生産方に選ばれたのは六人で、みんな須賀川の大きな商人たちでした。伝右衛門は、このとき二十六才の若者でした。
須賀川の生産方には、早くも大きな仕事がまっていました。須賀川に生産方ができた明治二年は、五月ごろから寒い日がつづき、夏の終わりごろには凶作(きょうさく)だということがわかりました。
伝右衛門をはじめ生産方の人々は、宮城県にお米を買いにいったり、東京
橋本 伝右衛門