須賀川市人物読本 先人のあしあと -101/134page

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てもらうことにしました。町じゅうの人々が喜んで協力してくれたので、病院をつくるお金はすぐ集まりました。こうして須賀川に県立病院ができました。明治六年のことです。

 この病院は、そのあといろいろうつり変わりがありましたが、現在は公立岩瀬病院となっています。

 伝右衛門たちは、このほかにも町だけでなく地方の役に立つことをしています。

 たとえば、産馬(さんば)会社をつくったこともそうです。伝右衛門が生きていた時代は、電気も自動車もない時代で、農家ではどこの家でも馬をかっていました。ものを運んだり、畑をたがやしたりさせるほか、馬小屋にしいたわらを、田や畑にまいて肥料(ひりょう)にしたのです。

 農家の役に立つ力の強いよい馬をいっぱいふやすために、馬を売ったり買ったりするセリ市(いち)を開きました。伝右衛門たちは、そのため岩瀬郡(ぐん)のほか、西白河郡、安積(あさか)郡、安達(あだち)郡の人たちと相談して、四郡産馬(よんぐんさんば)会社という会社をつくりました。


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