須賀川市人物読本 先人のあしあと -102/134page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

そして、須賀川にその本社をおき、伝右衛門がその副社長になりました。明治七年のことです。

 四年後、この産馬会社は、福島県全体の産馬会社になりました。宮先町につくられた本社は、西洋風のモダンな建てもので馬のセリがある日は、須賀川じゅうがお祭りのようなにぎわいでした。また、馬を売ったり買ったりするためにお金がいるので、銀行ができました。

 伝右衛門には、もう一つやりたいことがありました。それは農業です。それもみんなが昔(むかし)からやっている農業ではなくて西洋の農業です。

 そのころ、東京に津田仙(つだせん)という学者がいました。この人は西洋の農業の方法を日本の国じゅうに広めようと、農業の学校を開いたり、農業のざっしをつくったりしていました。

 伝右衛門は、この人と手紙のやりとりをして、西洋の農業について勉強していましたが、じっさいに農業をするには、本を読んだだけではできません。それで、


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は須賀川市教育委員会に帰属します。
須賀川市教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。