長沼町勢要覧 -018/044page
長沼探訪
歴史が語りかけるもの。それは、古人の夢の跡。
岩瀬郡の中ほどに位置する長沼町。東端を須賀川市と接し、 会津街道(白河街道)を西に進むと、 勢至堂峠を経て猪苗代湖に至る。
その道のりをたどれば、 長沼を駆け抜けた歴史の一つひとつが、 静かに語りかけてくる。
古代の長沼人(びと)が野を駆け、日々の生活を営 んだ「宮ノ前遺跡」。その“夢の跡”が、江花 川支流の磐瀬川上流にあります。これは縄文 時代草創期のもので、県内最古の遺跡である ことが判明。この一帯からは、他にも多数の 遺跡が発掘され、陽当たりよく見晴らしよい 丘陵地が、当時の狩猟・採集生活にふさわし い条件を備えていたことが伺えます。また、 出土品の多くが関東系に属するものであるこ とから、長沼の里が太古より、関東の奥羽地 方の文化・交通の接点であったとの推定もな されています。その後も、幾多の武将の争い が激烈を極めるなど、様々な思惑が行き交う 地、長沼―。私たちの祖先は、何を想い、 どんな道のりをたどったのでしょうか。古の 時代を駆け抜けた人々への想いは尽きません。
本念寺は長沼字豊町にあって、浄土真宗、京都、東本願寺に属す る。もと会津、芦名氏の家臣、新国氏が萱本村を領する時、廷文3 年(1358)本願寺3代、覚如の法弟、玄栄によって開基され太子寺 といった。後に新国氏は中路村に移り、永禄4年(1561)長沼を領 し長沼城に移る。太子寺も御附寺として長沼に移り、勝誓寺、本念 寺、となる。後に勝誓寺は須賀川に移る。親鸞の行跡が絵巻物とし て、まとめられ伝絵といった。やがて絵巻物は絵のみが、掛軸とな りそれを絵伝といって区別した。本念寺の絵伝は、東本願寺2代、 宣如によって描かれたものである。
護真寺の木造宝冠釈迦如来坐像
護真寺は横田にある臨済宗寺院。釈迦如来坐像は、像高43.2cmの檜材寄木造り、垂下式、彩色の像で後期宋元様式をとどめる。本寺開山の観応二年(1351)前後の作と推定されている。(県重要文化財)