長沼町勢要覧 -019/044page
護真寺の木造宝冠釈迦如来坐像
◎武神が宿る太平のシンボル
古杉老松に包まれた聖域―。町の東部、亀居山の中腹に鎮座する桙衝神社に足を運ぶと、その壮厳な佇まいは、古来より多くの武将に崇められてきた「武運の神」の存在を感じさせ、人の心を古代の昔へと誘います。
“桙衝”という名は、日本武尊が東征の折、『ヒイラギの木で造った八尋(当時の一尋は1m〜1.5mくらいか)のホコを亀居山の頂上部にツキたてて「蝦夷平定」の祈願をした』という故事伝説に由来するといわれます。桙衝神社は、律令時代の法令「延喜式」の官社名簿「神名帳」にその名があるなど、古来からの長沼と中央政府の関わりを知る上で、貴重な史跡となっています。
また、古代の信仰思想は、高い山、高い木大きな岩に神が宿るとされていましたが、長沼もまた、その例外ではありませんでした。
社殿背後にある亀居山の頂に、俗称“要石(かなめいし)”と呼ばれる巨岩があります。これは“神の宿りし岩”として人々の信仰のシンボルであった岩です。ちなみに亀居山の名も、神居山と言っていたものが、だんだんと訛っていったものだとか。この岩の周辺には古墳時代後期の祭祠遺跡があり、土器の祭器などが出土していることから、この神社には土着神から律令神へ移行する間の様々な歴史が刻まれているようです。
はじめ、当地は「桙衝」と書かれていました。ところが、醍醐天皇の延喜年間(901〜923)以後、「鉾衝」と改名したところ、争い事が多く起こるようになり、やがて慶長元年(1596)に「桙衝」の名に戻すと、それが収まり太平になった、というエピソードが残されています。ここに宿る武神の面目躍如、といったところでしょうか。