長沼町の伝説 -031/224page
明治三十五年寅年の暴風雨のため、岩の根かたに生えていた松の大木が倒れ、このはずみで岩の割れ目 にくい込んだ根のために見すぼらしくなったという。
この岩の西方にあった地蔵尊は、大正の初め頃六人の若者のいたづらで、川にころがし捨てられたと いう。その後、河川工事の際心ある人によって探されたが、とうとう見あたらなかったという。
時がたって終戦後、地蔵尊を望む県道で次々と交通事故死がおこったので、事故防止の守護としよう と、七人の有志によって地蔵尊の再建が企てられ、昭和三十五年十一月再建された。木の間に幟のひる がえるのが望み見られる。
(話者 桑名四郎)
形勢(傾城)ケ部屋 《志茂》
志茂屋敷の北西方に、形勢ケ部屋という所がある。この地は西南方の山頂高く、北は西高星、東高星 と周りを山に囲まれ、その中間は谷地の湿地帯で馬は通れず、盆地で隠れる場所には最適の所である。
昔の人の話によれば、その昔、長沼城が落城した際、城下にいた沢山の傾城、(別名女郎衆)が部屋の 簟笥や長持、針箱手箱など持って落ちのびて隠れた所といわれる。
簟笥や長持が石となってしまって、今なお西の山上には、簟笥岩、針箱岩の名前がつけられて残って いる。
(話者 石井 栄)