長沼町の伝説 -043/224page
庄屋がその池に行って、女に近づいて静かに話しかけたとこ ろ、娘は、「はい、いつもこの所をお借りして申しわけありま せんでした」と深く頭を下げて帰った。
この娘は、岩代今泉村の名主の娘だったといわれている。 水があんまりきれいなので、水鏡に自分の姿を映して髪をと かしていたという。それ以来、村の若い女たちが、われもわ れもとその池につめかけたそうである。この池で水鏡を使え ば、美人になると信んじて疑わなかったそうである。
その後、だれ言うとなく姫池などとも呼ばれ、いつしか女 池と呼ばれるようになった。今も女池という地名が残ってい る。
(話者 菅野寅治)
観音橋の由来 《志茂》
志茂の県道より、新館屋敷に行く途中に架けられている橋を観音橋と呼んでいる。昔は、杉丸太の胴 割二枚を、川の中央に鳥居を立てて、南北より一枚ずつ鳥居にかけ、橋の幅は約一尺五、六寸(四・五セ ンチほど)位なので、大雨で増水の時は非常に危険であった。