長沼町の伝説 -044/224page
渡橋の安全を祈願して、石像の観音様を北側の土堤に安置 して、橋の名を観音橋と名付けたと伝えられる。たびたびの 大水で、観音像はいつの世にか流されて、今はないが、多分、 川下に埋没していることだろう。台石だけが草に埋もれて、 昔の面影を残している。大正の末頃から、現在のような大き な橋となった。
(話者 石井 栄)
小中南の三清水 《小中》
この村も、昔からたびたびの旱魃に見舞われた。 あちこちの稲が枯れ、各家の井戸水も枯れて飲水に も困った。そんなとき、少しも減らずに湧き出て村 人の渇を救った清水がある。弁天の清水、滝山の清 水、三升蒔の清水がそれである。
弁天の清水は立石神社の西の山、俗に愛宕山の南 麓から出ている清水で、弁天様を祀った祠があるの で、その名がある。この清水はまた、愛宕山の北裏