長沼町の伝説 -048/224page
の供養を行った。別名を三夜清水といわれている。
水はあくまでも清く、昔より変らずに湧きつづけている。旅人も村人もこの清水を心の糧とし愛飲し たものである。この清水より流れ出る水は、また附近の耕地をもうるおしてくれた。
一説によれば、昔、ここに六光寺と称する寺院があったとのことであり、その廃滅になる際、寺院内 に金無垢の鶏を埋めて、坦を築いたといわれている。この坦を堀る者があれば、病気になると伝えられ、 だれも堀る人はなかった。現在も、昔と変らぬ清水が湧き続けている。
(「桙衝村郷土誌」より)
井戸を掘れない平藤内 《小中》
平藤内の屋敷は、古い屋敷で、昔、ここで弓打ちをしたといわれ、矢の根石(石鏃)が出ている。古く から矢部の一族が住んでいて、氏神の稲荷様が祀られている。
この神様は、井戸が嫌いだといわれていて、井戸は掘らなかった。堀ると、火事になるともいわれて いた。そこで屋敷の東の山裾に共同で井戸を掘って、そこから飲水を肩にかついで運んだものである。
終戦後は、世の中はすっかり変ってしまって、迷信だといって、昭和二十三年頃、矢部、古川両家で 二ケ所に二〇尺以上も深く井戸を堀ったが、ついに岩盤には突き当らず、木のような植物の腐った土が 出たきりで、飲用水になるような良い水はついに出なかった。
(話者 古川明)