長沼町の伝説 -051/224page
村に関するもの
勢至堂の由来 《勢至堂》
中通りから、会津に入るには、幾多の峠がある。勢至堂峠もその一つで、非常に険しく通行人は難儀 した。
天文六年に、会津の殿様の芦名盛氏が、家来の赤目越中ならびに伜四郎兵衛に命じて、麓に関所を設 けさせた。のちに耶麻郡から村人が引越して、一つの村落ができた。
さらに柳津にあった弘法大師御作の、勢至菩薩の尊 像をこの地に移し祀った。のち正徳五年に、今のよう な立派な御堂を建てた。勢至菩薩の御堂があるので、 勢至堂という村名になった。
明治二十九年、大雨による山津波が起こり、御堂が 流されたが、扉だけは昔のままの物である。
なお赤目越中の差科の赤鞘の刀、千寿院村正の銘刀 は庄屋柏木家に伝わつていたが、柏木家没落ととも