長沼町の伝説 -081/224page

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聖地に関するもの

おいらんの墓 《勢至堂》

 勢至堂屋敷の南二百メートル先の花見山の突端に、おいら んの墓といわれる墓地がある。

 元禄年間より明治初年まで、勢至堂は会津街道の宿場とし て栄えて、おいらん(別名女郎)のいた宿屋は十数軒あったと いわれる。

 宿場の繁栄の蔭に咲いた一輪の花、路傍の名もない草花に も似た人生、貧農に生まれた薄幸な人たち渡り鳥のように、 宿場から宿場にと渡り移り住んだのであろう。

 一旦病に侵されると見看る人とてなく、死亡すれば引き取 る身元引受人もなく無縁仏として葬られた人たちであろう。

 夏草茂る墓地は、墓石もなく、ただ言い伝えが残るだけで ある。

        (話者 石井政司)

おいらんの墓
おいらんの墓


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