長沼町の伝説 -124/224page

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長楽寺 《宮本》

 人皇五十二代、嗟哦天皇、弘仁十二辛卯年七月十日、弘法大師は、当村に巡錫して、当山を亀居山と 号し、しばらく足を止めた。

 山上に巌石があって、不動の梵字一字出現したので、奇しき靈地として恐れ畏み、護摩修業を行った。 のちに南麓の地を選び、一宇を建立して亀居山宝王院長光寺と名づけた。

 第五十六代清和天皇、貞觀五年、国中、天変地変が多く起 こり、人民が多く死んだ。先年、鎮守府将軍、文屋綿麿、蝦 夷征伐の際、蝦夷人をことごとく殺したので、その怨靈のな せる業と思い、国中の社寺に祭典を行わせた。衆を集め、読 経した場所を長光寺原という。経典諸具を納めた所を経塚と 呼んでいる。

 第七十代後冷涼天皇の天喜四年、陸奥の豪族、阿部貞任反 き、源頼義、征夷大将軍となり、義家を従い、東北に下向し た。しかし、武運つたなく、敗北して当山に退き、桙衝神社 に武運長久を祈願したところ、荒鹿いずこからか走り来て、 前面に膝を屈した。当社御守本尊の御加護の靈験と喜び、一

長楽寺石門
長楽寺石門


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