長沼町の伝説 -131/224page

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護真寺不動明王画像 《横田》

 護真寺の宝物、不動明王の画像は、当寺の開山、本禪等訳和尚が京都より持って来たもので、龍湫周 訳禪師の筆になるものといわれる。

 龍湫は諱は周訳、画名妙訳、甲州武田氏の出身。夢想国師の法弟で、不動明王に感ずるところがあっ て、日に一像を画き、期百日に至ったという。このようにして二十年、その筆致は神妙に入るといった。

 享保二年に表装して、寛保三年正月二十八日、不動尊を開軸した。毎年、この日に御開帳の祭事を行 うようになった。古来、不動尊に附いて来た大和千寿院の名劔は、名主矢部金五郎出火の際に、焼損し たので、宝暦六年江戸に上がった折換いたという。その宝劔の行方は今なお不明といわれる。

 十二世舜田碩修和尚の代、明治十五年不動堂を建築して常に修納している。昭和初期までは、不動講 を作り、附近の村の人々、善男善女が二十八日に集まり、大盛況であった。「御不動様」と言えば、正月 二十八日と当地方では今でもいわれている。この日の参詣者には、横田の壇家の人たちが赤飯、酒など を振舞った。神社の祭礼と同じく、若い男女の交際、集団見合の役割も兼ねていたようである。

        (「護真寺沿華大要」より)


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