長沼町の伝説 -133/224page
宝仏神体に関するもの
六光内の壇 《城之内》
桙衝城之内東の畑の中に、一つの壇があった。昔、ここは六光寺と称する寺院があって、その廃滅の 時、境内に金製の鶏を埋めて、壇を築いたといわれる。
後世、これを発堀する者は病を患うと称して、堀る者がなかったという。一説には、寺でなく六光内 長者が住んでいて、全盛の時、金鶏を埋めたともいわれる。今は開田工事のため、その跡形もない。
(「岩瀬郡誌」より)
八幡太郎義家と軍用金 《滝》
後冷泉天皇の御代に、八幡太郎義家、滝字高屋敷に本陣をかまえ、八幡寺を建てて、八幡大菩薩を祀 り、戦没兵士の英霊を祀った。
当時、千人位の家来で、安倍貞任、宗任と戦って勝つことができなかったので、兵が集まるまで八幡 岳にこもった。その時の昇り口が「きのこ沢」であった。きのこ沢には八幡太郎義家の馬の足跡といわれ