長沼町の伝説 -134/224page
るものが残っている。義家は八幡岳の御坪石といわれるところにこもり、七つの石を北斗七星の形に並 べて、戦勝を祈願したという。
そして、蓑輪山には蓑をつけ、笠ケ森には笠をつけ、高旗山には旗をたてて、多くの軍勢がいるよう にみせかけ、新羅三郎義光の来るのをいまがおそしと待っていた。のちに新羅三郎義光の援軍や、清原 氏の援助を得てついに阿部氏を打破ることができた。
源家では、のちのために備えて、沢山の軍用金を埋蔵したと伝えられる。
地図は竹筒に入れてあり、誰にもみせてならないという。文書には「滝において夕陽を背にあび、その 時、源家に伝わる名器雲月満月はたらの笙を心ゆくまで吹くと、その時、音色が山間にこだまして、最 高潮に達した時、かすかにみえるまぼろしの城」ということが書かれている。
八幡太郎義家が、滝の桑の木平に、軍用金を埋蔵した場所を示す一つの暗号であった。
のちに、源頼朝が石橋山で、一時敗戦の色濃いとき、源氏の勢力挽回を期して、村上貞行、小田桐八 左ヱ門輝清という二人の御納戸役が、軍用金を堀るためにやってきた。そして二人は風穴という場所に こもり、軍用金を探索したがみつからなかった。
この二人の侍が地図を半分ずつもっていたという。近年、その埋蔵金の一部を探し出したといううわ さもある。
(話者 江連 栄)