わたしたちの町 ながぬま - 071/075page
4.きょう土をひらいた人びと
○「藤沼こ」とかんがい事業
今から50年ほど前、長沼町の人びとは、田んぼにひく水がたりずにたいへんこまっていました。
そこで、人びとは、大きな「ため池」を作り、そこにたまった水をたんぼにひくことを老えました。
昭和10年に、そのころの長沼町とほこつき村と、いな田村の三つの町や村が国や県に、そのため池を作ってほしいとおねがいし、その年に作ってもよいというゆるしがでました。
そして、昭和12年に「藤沼貯水池」を作る工事がはじまりました。
その後、せんそうがはじまり、人手や物がたりなくなり、大へんなくろうをしました。工事がはじまって12年後の昭和24年の10月に、やっと「藤沼貯水池」がかんせいしました。
沼のまわりの長さが5q、貯水量(ちょすいりょう)150万u、えんていが133mもある大きな「ため池」ができあがりました。
はじめ、「ため池」を作ることを考えた人は、ほり込の「池田利七」さんです。当時の長沼町長さんの森岡喜一郎さんとほこつき村の大河原政之助村長さんは大きな努力をはら