わたしたちの町 ながぬま - 072/075page

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いました。
 かかったお金は、そのころで1,373万円もかかりました。米の値段が1俵(ぴょう)18円のころ(昭和20年)です。大変なお金と労力をかけた大工事でしたが「藤沼」ができたおかげで「水不足」の心配もなくなりたくさんの水田がたがやされ、大きな機械も使われるようになりお米がたくさんとれるようになりました。

今のきかいによるいねかり
今のきかいによるいねかり

よくせいちされた水田
よくせいちされた水田


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