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鏡沼の伝説
時は鎌倉時代。都の若武者・和田平太胤長(わだへいたたねなが)は、悪政を改めんと執権北条時政の討伐を企てた。だが、策謀が発覚し、胤長は奥州岩瀬の地へ流罪の身となった。鎌倉に残された妻・天留(てる)は夫への思慕の念に耐えがたく、とうとう奥州への旅を決意する。慣れない長旅でさぞ心細かったであろうが、幾日もかかってやっと鏡石にたどり着いた。村人に聞けば夫は稲村の近くにいるという。
さっそく懐中から鏡を取り出して身を整え、夫のもとへと急いだが、沼のほとりにさしかかった時、ある里人から胤長はすでに非業の死を遂げたと知らされる。一瞬にして悲嘆に打ちのめされた天留(てる)は、夢にまでみた逢瀬の願いを絶たれ、もはや生きる望みはないと、沼に身を投げたのであった。その時、ともに沈んだ鏡は、それからも沼底から哀しげな光を放ち続けていたという。西光寺(さいこうじ)・杉戸絵(すぎとえ)
永禄年間(1560年代)須賀川城主二階堂氏の家臣・鏡沼藤内の開墓によって建立されたと伝えられます。この寺では12枚24面に描かれた壮大な「杉戸絵」(県重要文化財)を所蔵。「寛政9年(1797)」年白雲上人の作で、「凌煙閣功臣画像(りょうえんかくこうじんがぞう)」など力強い筆致が今なお鮮やかに迫ります。