鏡石紀行-008/014page

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鏡石紀行

いにしえの人々がたどった道を行く…

 鏡沼(かがみぬま)

    水底に哀しくも美しい愛の伝説が眠る沼。

鎌倉時代の秘話伝説に由来する鏡沼は、別名「かげ沼」とも呼ばれ、現在はその片鱗を残す沼の跡が、田園の中にひっそりと残っています。古い文献によれば、この沼には蜃気楼が起きると言われ、芭蕉も「奥の細道」の中で、「かげ沼という所をいくに、今日は空曇りて物影うつらず」と、期待した"物影"が見られなかった心残りを記しています。

鏡沼

  鏡沼の伝説

鎌倉時代。都の若武者・和田平太胤長は、時の執権・北条時政の悪政を改めんと討伐を企てました。しかし、策謀は事前に発覚し、胤長は遠く奥州岩瀬の地へ流されてしまいました。
鎌倉に残された胤長の妻・天留は、夫への慕情耐えがたく、夫の跡を追ってひとり奥州へ。幾日も歩ぎ続け、ようやく鏡石へとたどりついた天留を待っていたのは、夫の非業の死でした。悲嘆に打ちのめされた天留は、もはや生きる望みはないと、沼に身を投げたのです。この時、彼女が胸に抱いていた鏡は、今でも水底から哀しげな輝きを放ち続けているといわれています。

 

 西光寺(さいこうじ)

    画僧・白雲が描いた杉戸絵が、今もあざやかに残る寺。

永禄年間(1560年代)に、当時の須賀川城主であった二階堂氏の家臣・鏡沼藤内の開墓によって、建立されたと伝えられる町を代表する寺院。
白河城主・松平定信のもとで絵筆をふるっていた画僧・白雲上人が、寛政9年に描いたとされる杉戸絵が収蔵されています。境台前の庭には、町の天然記念物にも指定されているめずらししい「たらようの木」もある。

西光寺
杉戸絵
杉戸絵
12枚の杉戸24面に描かれており、スケールの大きさと力強い筆致が、今なお鮮やかに迫ってきます。画題は「凌煙閣功臣画像」を主体とし、他の画面に「牡丹に孔雀」「岩に牡丹」の図。県重要文化財に指定されています。

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鏡石町観光協会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。