平成15年度 いわせ 社会科副読本 - 024/062page

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きゅうりを作るようになったわけ
きゅうり作りをしているおじさん
 岩瀬地方(いわせちほう)は,どの市町村(しちょうそん)でもやさいづくりの中ではきゅうりのせいさんが一番多(いちばんおお)く,「岩瀬(いわせ)のきゅうり」は,東京(とうきょう)などの大きな都会(とかい)でもたいへんゆうめいです。
 岩瀬(いわせ)地方できゅうりをつくるようになったのは,およそ40年前(ねんまえ)ごろからです。そのころ農家(のうか)では,麦(むぎ)やようさんがさかんでしたが,あまりお金になりませんでした。そこで,畑を利用(りよう)してきゅうりをつくり,東京方面(とうきょうほうめん)に売(う)りだしたところ,ひじょうに高く売(う)れるようになりました。また,田で米をつくる仕事があまりいそがしくない時期(じき)に,きゅうりつくりができることも大きなりゆうの一つです。
 今では多くの農家(のうか)の人たちが,岩瀬地方(いわせちほう)の特産物(とくさんぶつ)としてさらにおいしいきゅうりをつくろうとがんばっています。
 
なえ作りのくふう
きゅうり作りをしているおじさん
 はじめは,きゅうりのたねをそのまま畑にまきました。それでは,くきや根(ね)が細(ほそ)くて風や病気(びょうき)に負(ま)けてしまう弱(よわ)いなえしかつくれませんでした。そこで,くきや根(ね)の太(ふと)くてじょうぶなカボチャのくきに,きゅうりのなえをつぎ木(き)することで,風や病気(びょうき)にも強いなえを作れるようになりました。
 強いなえのおかげでなえの育(そだ)ちがよくなったばかりでなく,しゅうかくできる期間(きかん)も長くなりました。

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