ふるさと昔話 2 - 001/066page

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  弁天池の主

 

 大字大久保字竹の花地内、うっそうとした広葉樹に包まれた窪地に、池が二つ並んでおり、池の傍らに弁天様を祀(まつ)った小さな祠があります。池は、弁天池と称し、何か薄気味悪くて、今でもあまり人の寄りつかない所です。池の中程には、底知らずのお釜があって、そこには弁天様の主が住むといい伝えられ、罰を恐れて、誰一人釣りや猟をするものがありませんので、魚や水鳥にとってはまたとない天国でした。

 ところが、昔、村に住む狩人が、この池に鴨がおりたのを知り、家のみんなが止めるのに耳をかさず「神や仏の罰なんてバカげた話だ」と大胆にも鉄砲で撃とうとしたのです。

 現場に着いてみると、さすがの狩人もいやな予感に襲われて、ゾーッと身震えしたが、気を取り戻し、ねらいを定めてドンと一発放しました。ところがどうでしょう。弾はそれて祠の屋根板を打ち抜き、鴨は何事もなかったように、すいすい泳いでいるではありませんか。

 狩人は、身の毛のよだつ思いでしばらくの間ぼんやり立ちすくんでいると、池の中程が盛りあがったと見る間に、次第に水かさが増し、堤を越して狩人を追いかけるのです。狩人は鉄砲を投げ捨て、うしろを振り向く勇気もなく、まっ青になって家に逃げ帰り、口もきけず、雨戸を全部締めきって寝室に隠れました。ところが、大きな蛇がとり窓から入り込んで、おそれおののく狩人の体に巻きついて離れようとしませせん。そこに弁天様があらわれて「祠の屋根は水鳥の身代りになった。ふき替えよ」と告げた途端に、弁天様も大蛇も姿を消しました。屋根は、何回ふき替えても弾の穴があくので、その後石造りに建て替えられており、その家は子孫代々とり窓をつくらなくなりました。


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