ふるさと昔話 2 - 029/066page

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  八幡太郎義家公と七っ石の話

 

 永承六年十月の終り頃、八幡太郎義家の大軍は、額取(ひたえどり)山と鶏峠(にわとりとうげ)にたてこもっている賊軍を攻略するために戦闘を開始しました。
 頂上ヘ通じる道や、谷や、林や、森の中では、数百の兵隊だちが、敵、味方共にかん声をあげながら、激しい戦争が行われました。
 八幡太郎義家公は、賊軍がよく見える岡の石の上に腰をおろして、参謀の武士(さむらい)大将七人と共に指揮をとっておりました。

 腰をかけている石をよく見ると一匹の牛が、何時(いつ)の頃、だれが彫ったのか、ほられてありました。
 夕方近くに、賊軍をけちらして、義家公は頂上へ登り、そこで木の根を枕にひとやすみをすることになりました。

 ところが、間もなくあたりはうす暗くなり、黒い雲が、もく もくとひろがり、雷が鳴り、いなびかりがピカ、ピカと目もくらみ、耳もやぶれんばかりの音と共に、親指大のヒョーがバタ、バタ、バタと降り出して、大木の枝葉を折りました。そのうち、大雨に変わり、その雨のものすごいこと、天の神さまがおこりくるったようでしたので、兵隊達はぶる ぶるふるいて、気の小さい者は、山の神のたたりだといって、勝手に山を降(お)りてゆく者もではじめましたから「これは大変なことになるぞ」と八幡太郎義家公は思って、頂上の大きな岩の上にあがって大きな声で「みなの者ー、これを見よー」といい、そばにあった七っの大石を次々に頭の上まで抱い上げては、、ふもとめがけて投げとばしました。これを見ていた兵隊達は、総大将の強い力持ちにキモをつぶさんばかりにおどろきましたから、兵隊達の気持ちも少しおちつきました。

 大石はゴロ、ゴロ、ゴロと草木やススキをなぎたおしながら山の急斜面を麓へ向ってものすごい音をたててコロゲ落ちてゆく。途中の草むらや、ススキのかげや中にかくれていた賊軍をふみつぶし、なぎたおし、きづをつけながらゴロ、ゴロ、ドスン、ゴロ、ゴロ、ドスンと落ちてゆきました。

 今では、八幡太郎義家公が大石を投げ落した山を八幡岳


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