ふるさと昔話 2 - 033/066page

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  お尻目小僧の話

 

 昔、岩瀬村下柱田跡見塚から畑田に通じる道路は細い山道で、あたり一帯は松林でした。
 小雨の降る夕刻、この道を通ると、見なれぬ男の子が、破れがさをさして長すそのまま、はだしで畑田に向うのに出逢うことがあった。

 子供にしては活気のない青ざめた顔でした。今頃どこへ行くのか不審に思って振り返えると長命寺の付近でふわーっと消え失せてしまう。どうも不気味な感じだが誰もそのことを口にしない。
 ある夕刻、例の子供に逢った者が、長すそでは着物がよごれるので声をかけ、(この辺では尻をたくるというが)すそをまくってやって、失神する程驚いた。

 それもその筈、お尻に目玉そっくりのものが十もあるのである。
 子供は無言のまま歩き出した。一つ目とか三っ目小僧という話はあるが、一体何小僧というのか恐しくてだまっておれなかった。

 話が広がると、出会った者がたくさんいる。それにあの不気味な顔と姿。いつもお寺の付近で消え失せるのを見ると、この世の人ではなく、何かの因縁で成仏できず、さまよっている子供の霊であろうという意見だった。

 成仏させるには供養するより途がない。お尻の目玉を見た一人が地蔵尊を建てようと話し出すと、みんなが賛成して六地蔵を建てることになった。

 山道の傍らにずらりと並んだ石地蔵は子供達には薄気味悪いものであったが、それ以来子供の出現はぴたりと止んだ。
 百幾十年の時が流れ、太平洋戦争は思いがけない敗戦で幕を閉じた。

 厳しい食糧事情のもと、安積疏水のサイホン工事や開田事業が行なわれ、石地蔵は無惨に葬り去られて跡形もない。
 神や仏も何のご利益(りやく)もなかったという憂さ晴らしが先走って、一人として止める者がなかったのである。

 今はただ、子供の時分この道を通ったことのある人達によって「地蔵様にさしかかると、いつもぞーとした」と語り継がれている。


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