ふるさと昔話 2 - 044/066page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

  網取り不動さま

 

 昔会津の国、阿佐野村にゆく裏街道があった。守屋村から滝新田村をとおり大倍(おおばい)を越え、にわとり峠を下って米や魚を運び、会津からは特産の「ろうそく」をもってきたとも言われている。

 大倍(おおばい)は山のそね道で岩がごろごろして五十米もあらうか、下には金喰川があり眼もくらむような場所だった。
 口伝えによれば義昭法師さまが、自然に岩に刻まれたお不動さまの梵字(ぼんじ)をみて、私のかねがね心に思った仏であったので、仏の導きにちがいないと、この地に庵をつくり、鐘を鳴らし、読経をしては行(ぎょう)をしていたという。

 ある日この大倍(おおばい)で、会津に馬で荷を運んでいた弥平次、五郎兵エ、喜惣太の三人は、深い霧に包まれて一寸先もみえない朝のこと、突然すっとんきょうな声で喜惣太が「おれの馬がいねい」と叫んだ。弥平次と五郎兵エは「馬が先にいったんだべいぞ」と互に顔を見合わせていった。このドに落らたら馬は助かんねいなあ、喜惣太は顔の色がなかった。下に落ちて探すしかあんめえなと三人が山をおりていった。そのとき川の方から馬のいななきがした。川についた三人は驚いた。

 馬がひとつの怪我もなく、四つ足をふんばって立っているではないか。喜惣太は信心しなかったので「ばち」があったと思い込んでしまった。年上の五郎兵エは「喜惣太おめい、お不動様に助けらっちゃんだぞなあ」と三人はお不動さまに手を合わせ深く礼を申したそうだ。

 その後村人たちは、お不動さまをふんではと下に道をつくって歩いたという。


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は岩瀬村教育委員会に帰属します。
岩瀬村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。