ふるさと昔話 2 - 045/066page

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  ごはんつぶおかよ六地蔵の話

 

 深渡戸(ふかど)に、おかよという大変感心な嫁さんがおりました。ところが、家が貧(まづ)しかったので毎日苦労をしておりました。

 おかよは、食べのこしのご飯粒が六粒になると、野良(のら)仕事に出た時に、道端(みちばた)に立っている六角(ろっかく)地蔵の石塔の地蔵様のお口のところヘツバでねばつけ「どうぞ、お食べ下さい六地蔵!」と両手を合わせると、お地蔵様が「どうもありがとう、ご馳走になります。おかよさん!」とニッコリ笑うように見えて、なんともいいないよい気分になって、家がまづしく貧乏で三度の食事もろくろく食べられなくとも…一生懸命働くことができるのでした。

 そうして一年ほどたちました。ある年の夏のはじめ頃から、悪い風邪引きが大流行(おおはやり)です。どこの家でも風邪を引かない人はありません。皆んな熱を出して ウン ウン うなってねておりました。おかよの家でも 旦那(だんな)の宇作さんも、お父さんも、お母さんもみんなねてしまって、田畑の仕事が とても とてもおくれて困ってしまいました。

 ところがある日の夕方、手拭で頬かむりした見なれない六人の若者が入口に立って、「おかよさん、田畑の仕事を私だちが手伝ってあげよう。お金も六人が手間賃を稼(かせ)いであげるから心配をしないで下さいね」と言って姿を消しました。おかよさんは、不思議なこともあるものだと、心の中で思いながら、それから四、五日は、家の人だちが熱が高く ウン ウン うなってねていますので、この看病で野良仕事にでられませんでした。やっと熱もさがったので山へ出かけました。六地蔵様にお参りをして六粒の飯(めし)粒を六地蔵様のお口にねばつけてから、自分の家の田畑へ行って見て驚きました。田畑が綺麗にたがやされてありました。そればかりではありません。あくる朝、戸をあけて見ると、戸口に六(ろっ)この紙袋がありました。これをあけてみると、その中には、当分遣(つか)いきれないほどのお金がありました。一体これは、どうしたことなのでしょうか、一体これは誰がやってくれたのでしょう。心のすなおな、おかよさんにはそれは誰がやってくれたのかがわかりました。

 その後このお地蔵様は、ごはんつぶ地蔵様とも呼ばれるようになりました。


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