ふるさと昔話 2 - 048/066page

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  千海行者とあとみ塚

 

 下柱田村に六角地蔵堂と行屋があった。
 湯殿山の大日坊からこの地に来たといもいわれ、偉い坊さんだった。六角堂は仙道二十四番の第七番札所、ちいさいが立派な御堂だったそうだ。

 毎日子供たちの遊び場で不思議なことには縁から落ちても怪我ひとつしなかったと、千海坊さんは子供たちのよい相手。親たちも仕事で忙しいので、千海さんにまかせっぱなし。村はしずかで平和だったが、凶作と、はやり病気は遠慮なく村を襲ってきた。ご年貢を納めたら喰(く)う米がない、病気のため子供たち達まで倒れてゆく始末、村は一変してどん底になってしまった。

 千海坊さんは地蔵さんに願をかけご祈(き)とうしたり、薬草を配って病気を治そうとしたがどうにもならない。
 千海坊さんは一大決心をし御堂に村びとを集めて言った。私は皆さんのためすべてをつくしたが効果がなかった。私は生き仏となってみなさんを救けるしかない。あとをみてくれ、といった。

 その後千海坊さんは、水と長い竹すっぽを持って前山の石窟に入り、七日七晩鐘を鳴らしお経を唱えて生き仏となった。
 村人たらは、村中あげて石碑を造り供養した。
 千海行者の徳を偲んで その塚を跡見塚とよぶようになったと。

千海行者とあとみ塚


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