てんえいむら見て歩き トラベルブック -054/064page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

民話 5  高林

へっぴり三次(さんじ)

 飯豊(いいとよ)と高林(たかばやし)のほぼ中程(なかほど)を「上高林」と いう。これは古い住居跡で、当時約20 戸の集落があったといわれ、百姓三次も またこの集落の住人であった。
 ところでこの三次は、愛称を「へっぴ り三次」と呼ばれ、これには、次のよう ないわれがあった。
 慶長(けいちょう)六年九月、会津若松城主蒲生秀行(がもうひでゆき) は、白河支城に家老職町左近(まちさこん)をおき、城 代として当地方一帯を治(おさ)めさせていた。
 白河城代家老は、代々一年に四回本城 の若松城へ伺候(しこう)することが恒例となって いた。
 ある年の暮れ、白河城代家老、町左近 は、少数の家来と夫役(ぶえき)数人を従え、若松 城主蒲生秀行への伺候を終え、カゴに揺 られながら急ぎ帰城の途についた。
 途中久来石(きゅうらいいし)(鏡石町) の村はずれにさ しかかったとき、たまたま前方から供の 者や夫役を伴なった名のある武将のカゴ と見受けられる行列に出逢った。その時、 カゴとカゴとがすれ違った、ほんの瞬間、 先方の夫役の一人が「ブーツ」と一発放 屁(ほうひ)した。カゴの中にあった左近は怒って しまい、あわや「無礼者(ぶれいもの)め」と叱る寸前、 当方の夫役である三次が間をおくことな く「ブップーッ」と、先方の数倍もある 大音響のものを、つづけざまに力を入れ て二発ぶっ放した。
 日は暮れかかり城代家老、町左近は、 矢吹本陣にカゴをとめ宿を取った。夫役 の三次は、同輩(どうはい)らの溜(たま)り場に控えていた が、今日の御前(ごぜん)での放屁の一件が気にか かり、あるいは重罪のため討首(うちくび)かと心配 のあまり、何としても涙が流れおち、やり場がなかった。
 この夜、三次は城代家老の前に呼び出 された。三次はもはや御手討(おてう)ちの覚悟は してはいたものの、どうにもふるえが止 まらなかった。家老は満面笑みをたたえ ながら、「夫役、三次とはその方か、面(おもて) を上げい」 ハ、ハイ、三次の返事は声に はならなかった。家老は更に声をやわら げ「近(ちこ)う近(いこ)う」と声をかけ「今日、その 方の働き、余はうれしいぞ。敵は一発、 味方は二発、しかも大筒(おおづつ)じゃ。よく余の かたきを討ってくれて、余は満足である ぞ、ほめてつかわす」手柄(てがら)として家老愛 用の短刀一ふりと家老自らの酒肴(しゅこう)を下(くだ)し おかれ、三次は感激のあまり平伏(へいふく)、うれ し涙がとめどもなくこぼれおちた。
 この話が伝わるや、上高林周辺は勿論(もちろん)のこと、三次の名声は一段と高まり「へっびり三次」と、名誉ある愛称で呼ばれるようになったという。

稿者 石井寅之助

「天栄村の民話と伝説から」

放屁する三次


[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は天栄村教育委員会に帰属します。
天栄村教育委員会の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。