西暦 |
年号 |
石川町のおもなできごと |
1868 |
明治元 |
明治維新,江戸が東京になる。 |
1871 |
4 |
石川郡の浅川,川辺,須釜に区会所ができた。 |
1873 |
6 |
2月に中谷第一小学校,5月に石川小学校,7月に沢田小学校,8月に野木沢小学校,12月に母畑小学校ができた。 |
1874 |
7 |
浅川,川辺,須釜の三会所(郡役所)がなくなり,石川会所ができた。2月に南山形小学校,5月に中谷第二小学校ができた。 |
1875 |
8 |
石川警察署,石川郵便局,石川電報電話局ができた。石川町に自由民権の有志会議ができる。のちに石陽社となる。 |
1876 |
9 |
4月に北山形小学校,9月に外槇分校ができた。 |
1878 |
11 |
3月に山形小学校ができた。 |
1879 |
12 |
石川に郡役所ができた。 |
1889 |
22 |
町村制が実施され,石川村,中谷村,山橋村,野木沢村,沢田村,母畑村ができ,第1回の村会議員の選挙がおこなわれた。 |
1891 |
24 |
東北本線全線が開通した。 |
1892 |
25 |
6月に石川義塾(今の学校法人石川高等学校)が開校した。 |
1893 |
26 |
山橋村より山白石がわかれた。 |
1894 |
27 |
石川町ができた。 |
1896 |
29 |
日本専売公社石川出張所(前身)ができた。 |
1897 |
30 |
石川営林署ができた。 |
1898 |
31 |
長福院(沢井)が建った。 |
1901 |
34 |
外槇の用水路工事設計ができた。 |
1909 |
42 |
4月に石川服装学院が開校した。 |
1912 |
45 |
石川バス経営がはじまった。 |
1914 |
大正3 |
関平堰事件があった。 |
1918 |
7 |
石川―須賀川間に定期バスがはしる。 |
1920 |
9 |
石川―白河間に定期バスがはしる。母畑の発電所ができた。 |
1921 |
10 |
岩瀬興業銀行石川支店(後の東邦銀行)ができた。 |
1922 |
11 |
4月から不況がつづいた。 |
1923 |
12 |
石川実科高等女学校(今の県立石川高等学校)ができた。 |
1927 |
昭和2 |
金融恐慌がおこった。 |