第3・4学年社会科学習資料 わたしたちの玉川村 - 096/102page

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私たちの村と学校(児童作品から)

100さいになった玉川一小
3年 大木 美枝子
 今年、わたしたちの玉川一小は、100さいになりました。
 わたしは、その時に、この学校に入っているのが、うれしくてなりません。
 先生からお話をおききしましたので、3学期に習う社会科の本を開いてみました。そこには、明治のはじめの学校から今の学校までのうつりかわりや、いろいろなふくそうや、児童の人数などが、絵やグラフにあらわして説明してありました。
 むかし、学校が初めて出来たころは、みんな着物を着て、おすわりをして勉強していたようです。
また、ふろしきすがたで通っていたのが、だんだん、かたから下げるかばんになり、そして、今のランドセルにかわってきたようです。
 着る物も、着物から洋服にかわってきました。
 児童の数も、30人、100人、200人、300人と、だんだん、ふえてきました。学校もりっぱに、きれいになってきました。
 わたしたち玉川一小も、この教科書のように進んできたのにちがいありません。
 わたしは、初めてできた学校の絵を見て、へんに思いました。それは、みんなが勉強しているところへおくれて入ってきた児童が書かれてあるからです。それで、むかしの人は、ちこくしてもおこられなかったのかな、と思ったり、どんなばっそくがあったのかな、などと考えました。このことは、ぜひ先生におききしようと思いました。
 また、ふしぎに思ったのは、学校ができたころは、どうして児童の数が少なかったのだろうということです。
 わたしは、この玉川一小に入れて、本当によかったと思います。それは、学校がはじめられた頃だったら、おすわりをして勉強しなければならなかったからです。わたしは、おすわりはとくににがてですから、今のように、いすにすわっていられるのは本当によかったと思います。
 それに、もう一ついやなことは、初めからむずかしい漢字の教科書を読んだり、書いたり

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