わたしたちの平田村 - 049/107page

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せい
れき
ねん
ごう
村のできごと
こうつう・つうしん
くらし
1942
17
    ○県立田村農蚕(のうさん)学校への通学(つうがく)がはじまった。

1941

16
    ○満州(まんしゅう)にうつりすむ人がおおくなった。
○ごう雨があった。
1940
15
    ○干(かん)ばつ、水をあげるのにポンプを使うようになった。
1939
14
  ○木炭車(もくたんしゃ)バスがはしりはじめた。 ○兵隊(へいたい)に出された人100名ぐらい。
1938
13
    ○10数名の戦死者(せんししゃ)がでた。
1937
12
  ○蓬田局が電信、電話をはじめた。  
1934
9
    ○大凶作(きょうさく)となった。
1933
8
    ○大豊作(ほうさく)となった。
○小平の彫刻家(ちょうこくか)遠藤友治さんがなくなった。
1932
7
    ○欠食(けっしょく)児童が多くなった。
○児童売買(ばいばい)が多くなった。
1931
6
  ○貨物(かもつ)自動車、バスが小野新町まではしった。 ○冷害(れいがい)、凶作(きょうさく)。
1929
4
  ○須賀川行きのバスが開通(かいつう)した。  
1927
2
  ○磐越東線三春−小野新町開通した。 ○西山発電所ができ、平田村に電とうがつく。
1926
大正
15
    ○小平村に10軒(けん)分の発電所が所ができ、昭和9年までつづいた。
1925
14
○25才以上の男子が新有権者(しんゆうけんしゃ)になった。    
1924
13
  ○曲山−小野新町の道路を広げはじめた。  
1923
12
    ○小平郵便局がはじまった。
○広野広中がなくなった。
1922
11
○郡長(ぐんちょう)がはいしされた。    
1920
9
    ○母畑発電所ができた。
1918
7
    ○スペインかぜがはやった。
1917
6
  ○磐越東線(ばんえつとうせん)が全線開通した。  
1915
4
     
1913
2
    ○大凶作(きょうさく)、大水がでた。
1912
明治
45
  ○鉄道の工事がはじまった。
 (小野)
○蓬田に自転車がはいった。
1905
38
    ○大凶作
1904
37
○日露(にちろ)戦争がおこった。   ○9名が戦死(せんし)した。

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