わたしたちの平田村 - 091/107page

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○ 明治時代の蓬田村のようす

阿部好貞翁頌徳碑文から (教師用資料)

 翁が成長したころは、幕末の動乱期にあたり、明治元年13才のときには、戊辰戦争に際会した。たまたま蓬田村に宿営した官軍の参謀板垣退助と三春藩の河野廣中との折衝のときには、翁も亦父君に従って国運変革の一端をまのあたりにした。

 明治12年24オにして蓬田村長に任じて村政を掌理したが、15年には飢きんの救済と産業の振興を計って村内の堂久保に入山地区の開墾に着手し、14年の歳月を費やし田畑約30町歩を得て、多くの人に生活の基礎を与えた。

 27年より福島県会議員となり石川郡会議員を兼ねてその議長に任じ、蓬田村長に当選すること数次に及び地方自治に尽力すること多年であった。その間福島県における自由民権運動の中心であった河野廣中に私淑し一族を上げて河野のために尽力した。…中略…。

 明治35年の東北地方の大凶作に当ってはその救済事業として上蓬田地内における北須川治水工事を起すなど社会公益のため私財を投ずることもしばしばであった。…後略…。

 翁が愛郷愛国の至情より計画成就した諸般の事業は、後に至ってますます社会を益し後人は、愈々その業績の大きくて奥澤の深きを思うことが切実となり20年後の今日に於いてあらためてその得功を表し、後世に伝えることになった。まことに鴻徳の余光がさらに輝きを加えたというべきである。

撰文 学習院大学教授 児玉幸多
※ 昭和47年建立 遺族5名、発起人55名、賛助員111名
※ 建立地 平田村大字上蓬田字上宿1(蓬田分館西隣)

91-1
田畑をつくる
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阿部好貞翁頌徳碑

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