わたしたちの平田村 - 092/107page

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B 農業をさかんにする

○ 大字鴇子字入ノ坂、久保木久治君の碑文から(教師用資料)

田畑をつくる…村当局ノ要望ニ依リ明治37年4月教師ヲ辞シテ蓬田村収入役トナリ在職5年村財政ヲ整理ス。
明治42年5月保護責任蓬田信用販売購買利用組合ノ前身タル有限責任鴇子信用組合ヲ創投シテ組合長トナリ事ニ当ッテ深慮明断能ク万難を排シテ今日ノ大ヲ見ルニ至レリ。
 又大正14年ヨリ今日ニ至ル17有年間蓬田村煙草耕作組合長トシテ尽シタル功績少ナカラズ、就中昭和4年時ノ村長阿部貞三氏ト協力シテ専売局ノ認可ヲ得テ煙草取扱所ヲ設置シ其ノ建築ヨリ管理増築一切ヲ担任シ今日我ガ村ニ於テ耕作反別130餘町歩賠償金15万円ヲ得ルノ素地ヲ作リタル功績亦偉大ナリト云ウベシ、更ニ昭和5年12月選バレテ蓬田村長トナリ同9年11月満期退職セラルガ同13年12月衆望ヲ荷フテ再ビ蓬田村長トナリ、・・・・中略…村自治及び地方産業ノ発達ニ貢献セル所頗ル多ク其ノ功績マコ卜ニ顕著ナリ。即チココニ有志相図リ報徳ノ碑ヲ建テ、永遠伝ヘントス。     昭和16年9月
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C 蓬田小学校の敷地

―有徳の人遠藤栄吉(幼名乙吉)翁の頌徳碑文(しょうとくひぶん)から―

○ 石碑が蓬田小学校庭東がわにある。

……翁は蓬田村村会議員をはじめ、蓬田小学校学務委員……その他数々の要職につかれ、本村発展のためにつくさる。翁は、資性明朗博学にして人に接してはよく語りよく話し、郷土の人間造りには、深い関心をもたれ、永年にわたり郷土の教育振興のため大いにつくされしも、特に山田一番地にありたる蓬田小学校は、明治27年の建築にして同30年には、高等科併設され児童数年々増加し狭隘をつげ法伝寺或いは民家借用による教育止むなきに至る。
 加うるに大正の中期には腐朽甚しく危険校舎となりしため改築を決定するを敷地の選定に於いて、遂に行き詰り状態に陥り悩み続けること数年に及ぶ。
 翁は、この様をみて深く憂い字下宿の美田良畑併せて5反有余を無償で寄附さる。これによって、さしもの大問題も一挙に解決し昭和2年この地に県下に誇る新校舎の移転を見た。…後略…

教育長 久保木茂利 選文
建立日 昭和41年5月14日


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