わたしたちの平田村 - 094/107page
@ 宗像病院を作る
永田には、病気になっても見てもらう医者がいませんでした。そのため人々は、山をこえ、遠い道のりをはるばる小野町や石川町まで行かなければなりませんでした。人々の中には、なおる病気もなおらなかったり、手おくれになったりしました。
金吾は、困っている人々のために、浅川町から、上野喜三郎医師をよびよせ、昭和8年、内科、外科、その他4つの科からなる宗像病院を作りました。
この病院は入院することもでき、暖ぼうも整っていました。
A 永田地区の道路と橋を改良する。
永田は、蓬田、鴇子、東山からの川が集まるところです。そのため12か所に橋がかけられていました。しかし、木製の橋のため、毎年、こう水で何か所もこわれたり、流されたりしました。流されたどろのため、げたやぞうりはもちろん、す足も引きぬけないほどのようなところがありました。学校に通う子どもたちも、大人の人たちも大雨のために大変こまっていました。
これを知った金吾は、昭和8年から12年にかけて、道路を直し、木製の橋をコンクリ-ト橋に作りかえました。
それ以来、橋は流されることがなくなり、現在にいたっています。
94−1 工事中の道路
改良されたコンクリート橋