わたしたちの平田村 - 095/107page

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

B 永田小学校の移転(いてん)

 永田小学校の校舎が大変古くなったことや、運動場がせまいために、子どもたちは、勉強や運動にこまっていました。
昭和11年から12年にかけて、金吾は、切田(きった)に永田小学校を建築するための土地を買い、学校を移す準備をしていた永田の人々に寄附しました。

 また昭和9年、冷害のために作物の収かくがひどく悪く、人々の生活は、苦しいものでした。そのため金吾は、蓬田、小平、永田の三校へ、貧しさのために学用品や給食にこまっている児童にすくいの手をさしのべました。このため、金吾がなくなったあた、昭和18年10月「三校合同体錬追悼(たいれんついとう)大会」を行い、感謝の気持ちを表しました。

永田小学校のしき地
95−1
永田小学校のしき地

三校合同体錬追悼大会
95−2
三校合同体錬追悼大会

[検索] [目次] [PDF] [前] [次]

掲載情報の著作権は石川郡平田村教育委員会・平田村に帰属します。
石川郡平田村教育委員会・平田村の許諾を受けて福島県教育委員会が加工・掲載しています。