わたしたちの平田村 - 096/107page
C 八坂(やさか)神社を建て、菅布弥(すがふね)神社の境内(けいだい)を広くする。
村内に、腸チフスが大流行し、おおぜいの人々が八坂神社に、病気がおさまりますようにと、お祈りに行きました。その時、神社をもう少し高い所に移そうという人々の声が多くなり、腸チフスの流行がおさまったあと、舘山に神社を移しました。この舘山を「天王山(てんのうやま)」というようになりました。
金吾の父も腸チフスにかかり、この八坂神社をおがんで腸チフスがなおりましたもそれから、金吾の父は、この神社のお役に少しでもたちたいと思いました。父の思いを知った金吾は、昭和10年8月に、京都の八坂神社をまねて、京都から5人の宮(みや)大工をよびよせ、神社を新しく作り直しました。
また、金吾は、菅布弥神社の境内を広くする工事もしました。
96−1 天王山
96−2 工事中の管布弥神社
96−3