わたしたちの平田村 - 101/107page

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(5) 農業を開く

阿 部 好 貞(あべこうてい)(1856〜1939)

 好貞は、常陸(ひたち)土浦藩領(はんりょう)7000石(ごく)の大庄屋に生まれ、明治15年(1882)、たったひとりで上蓬田字堂久保及び入山地内約30町歩(30ha)の山林を開いて田畑を作った。また、明治35(1902)東北大暴風雨(ぼうふうう)による大ききん注(1)を救う目的で、上蓬田地内北須川治水(ちすい)注(2)工事を起こし完成させた,,

笠 巻 多 一(かさまきたいち)(1904〜)

 多一は、蓬田村(平田村)打違内部落の出身で、このあたりで、イネの温床育苗(おんしょういくびょう)注(3)栽培を初めて行なった人である。多一は、試験的に作った苗を水田の片(かた)すみに植えたところ、きわめてよく成長し、ふつうの苗代にくらべてたいへん好成績であった。以上のようなことから、昭和2年(1927)2坪(つぼ)(6.6u)の温床を作ってイネ苗を育てた。その結果は、たねの発芽、発芽後の成長とも、多一の予想どおり、たいへんよかった。

久 保 木 久 治(くぼききゅうじ)(1884〜1942)

 明治42年(1909)他の町村より先に、有限責任鴇子(ゆうげんせきにんとうのこ)信用組合を作り、農民の組織化(そしきか)注(4)に成功し、農村の不況(ふきょう)を克服(こくふく)する。また、昭和14年(1939)〜昭和16年(1941)まで葉たばこ耕作組合長をつとめ、蓬田葉たばこ取扱所を作った。

草 野 政 光(くさのまさみつ)(1891〜1975)

小平小学校を卒業するとすぐ農業を始め、農業の基本は土づくりであると信じ、堆肥(たいひ)作りに努力、昭和7年(1932)、昭和11年(1936)の2回、堆肥増産(ぞうさん)競技で知事賞を受賞、以来、高冷地の稲作の向上に努力した。また、葉たばこ栽培も昭和初期より収穫量がふえ、品質の向上にも努力した。85才でなくなるまで、一生を通じて、高令地の稲作の向上と葉たばこの増産、ひいては小平の農業の発展につくした。

注 (1) ききん…農作物がとれず、食料がとぼしくて飢えに苦しむこと。
   (2) 治水(ちすい)…川の流れをよくして、大水になるのをふせいだり、その水力を利用したりすること。
   (3) 温床(おんしょう)…苗を早く育てるために高い温度を保つようにしてある苗床。
   (4) 組織化(そしきか)…何人かの人をあるひとつのまとまりにすること。


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