わたしたちの平田村 - 100/107page

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吉田喜左エ門後明治32年7月推されて第5代小平村長に就任する。従来南北両地区に蟠れる学校位置に関する紛争の解決に奔走、たまたま村議会議員永瀬秀吉翁より敷地寄付の美挙あり同問題も円満に決着、小平及び北方両小学校を統合、現在地に小学校建設の大事業に着手する。この間翁の私生活は文字通り勤倹節約その余剰生活費の悉くを工事費に注げりといふ、かくて明治34年9月新校舎竣工移転の運びとなりしが引き渡直前未曽有の大暴風雨により倒壊一朝水泡に帰す。されど翁の不屈の一念と旺盛な責任感をば、更に私財の大半を投せしめ村民共々総力を挙げて遂にこの悲運を克服同三十六年念願の校舎を再度完成せしむ…中略…
 新校舎に改築されるに当たり翁が遺徳を偲びその偉業を後世に永く讃へんと同窓相寄り頌徳の碑を建立す。
      昭和35年5月吉日
      矢 吹 重 治  撰文

(※この碑は小平小学校しき地つづきの村有地の一画にある)

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B とうじのおもなできごと

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とうじのおもなできごと


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