あさかわ 浅川町勢要覧2000◎町制施行65周年記念 -012/038page

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往路をしのぶ、浅川氏の青葉城跡

 ゆるやかな車道を登った先に城山の損上がある。浅川町の中心部から北東の約一加にある城山は標高四〇七m。地上からの高さが約 一〇〇mの、やや小高い丘といった風情がある。その山頂からは、安達太良山、那須連峰、八満山系の美しい山並みが眺められ、眼下に は浅川の田園風景が広がる。城山公園として親しまれ、まちの人々はもとより、周辺からも多くの人が訪れるこの地は、古くから歴史 や文化の中心になってきた。
 戦国時代には、地域一帯を支配した石川氏の一族である浅川氏の居城、青葉城があった場所でもある。築城された年や築城した人物 などは特定できないが、史料からは平安時代末期の康平年間(一〇五八〜一〇六四)に築城されたと推察される。時代が移って安土桃 山時代には、天正一七年(一五八九)に伊達政宗の奥州遠征に際して、伊達方の前線に立って戦ったことから、翌一八年に豊臣秀吉の 「奥州仕置き」によって領地を没収されるまで、浅川氏の支配は続いた。
 いまは青葉城の姿はないが、山頂に広がる平地がわずかに本丸跡をしのばせる。城山という名も青葉城が山稜の傾斜を利用した要害 の地をなす「山城」の典型であったことに由来するといわれている。

森からの招待状

もみじ
もみじ

八溝連峰や那須連峰を一望する生活環境保全林・城山公園

木漏れ日が差し込む森に香る土や草の匂い。
懐かしい郷愁にも似た、遠い日の記憶、忘れかけていた風・・。
都会ではけっして味わうことのできない、ふるさとのあたたかさがここにある。
いつの時代も浅川のまちを見守り続けてきた城山は、生活を潤し、心に安らぎを与えてきた。
このままの姿を子どもたちに受け継いでいこうとする人々の想いは深い。

烏になって、浅川を知ろう3
耳を澄ませば虫たちの息づかいまでも聴こえてきそう。そんな静かで穏やかな光景が、城山のそこかしこに あふれている。

    

蝶


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