小学校第3・4学年社会科学習資料 わたしたちのまち浅川 - 089/100page
3.郷土のあゆみ
(1)蓑輪が原の開発
開発前の簑輪
蓑輪地区は、昭和27年頃まで、毎年干ばつになやまされてきました。たよりになるのは、3つの貯水池でしたが、十分にかんがいをするだけの水はなく、雨の降るのを待たなければ、田植えができませんでした。簑輪が原の開発
蓑輪が原は「浅川原」と呼ばれ、広い草原でした。長老の小針伝氏をはじめ、蓑輪の人々は、この地に、ボーリング(井戸をほること)を考えました。そして、昭和27年から3年近くのさい月をかけて、ボーリングを完成させました。