3.郷土のあゆみ
(1) 簑輪が原の開発
開発前の簑輪
簑輪地区は、昭和27年頃まで、毎年干ばつになやまされてきました。たよりになるのは、3つの貯水池でしたが、十分にかんがいをするだけの水はなく、雨の降るのを待たなければ、田植えができませんでした。
蓑輪が原の開発
簑輪が原は「浅川原」と呼ばれ、広い草原でした。長老の小針伝氏をはじめ、簑輪の人々は、この地に、ボーリング(井戸をほること)を考えました。そして、昭和27年から3年近くのさい月をかけて、ボーリングを完成させました。
およそ45年くらい前の浅川原
ボーリングをし、地下水がわき出たところ
水田作りに使われた機械のセミクローラー