あさかわまちが生んだ偉人-003/093page
ない富三です。また、そのころはラジオも、ましてやテレビなどもない時代でした。ですからほかの土地の言葉にふれることなどは、ほとんどなかったのです。たとえば、富三はビスケットのことを「ビスケット」バナナのことを「バナナ」と言っていましたが、ちがうと言って直してくれる人もいませんでした。小学校の先生でさえ、東北弁で勉強を教えてくれていたのでした。そのような中で育った富三の話す言葉は、東北弁まる出しです。面接にあたった先生に、「君の言葉はわからない、」と言われても言いかえる別の言葉も見つかりません。じっと下を向いたままの富三に向かって、その先生は、
「よし。きみ、一年間東京の言葉になれて、それからもう一度この学校を受けなさい。」
1915年(大正4年)12歳
錦城中学入学(左の人)