あさかわまちが生んだ偉人-008/093page

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3 研究は根気だ
現在の日本人の死亡原因の過半数を占めているのがガンです。ガンを完全になおすことは、今でも難しいのですが、このガンの研究に一生をささげたのが、わが町で生まれ、日本はもちろん、世界にまで名をとどろかせた吉田富三博士です。
今からおよそ五十年前の昭和十三年、ドイツ留学から帰国した富三は、長崎医科大学の教授に迎えられました。三十五歳の年でした。
「吉田肉腫」の研究はこの頃から始まりました。
昭和十五年の頃になると、吉田教室の研究生も七、八人になりました。
富三は、研究生の佐々木さんに「けがをしてなおるとき、下から肉が盛り上
1953年(昭和28年)50歳
1953年(昭和28年)50歳
2回目の恩賜賞を受賞する。前列左端博士

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