あさかわまちが生んだ偉人-010/093page
ら調べる。」「根気強くがんばる。」などを常に心においてすすめました。
この富三のはげましのことばにより、佐々木さんは研究に打ち込みました。
こうしてこの研究の難関は、佐々木さんの工夫である水ばんそうこうの開発によって解決されました。
「吉田肉腫」と言われる「腹水肉腫」は、この頃の研究によってできたのです。これは、ラットに二種類のガンのもとになるべつべつのものを食べさせたり、塗り続けることによって、ガンを発生させることができたのです。そして、このラットにできた腹水肉腫を、さらに別のラットに増やしていくという研究を続けました。
この腹水肉腫の発見から半年のち、富三は東北大学に移りました。
腹水肉腫にかかったラットも連れて行きたいのに、東北大学では研究のための準備ができていないため、東京の佐々木研究所でしばらく育ててもらうことにしました。
しかし、、その東京ではガンのラットを死なせないための予備のラットがなかなか手に入りません。そのため、あやうく二回絶滅しかけました。佐々木研究所からの「ラットキトク」の電報のたびに、富三は仙台からかけつけました。