あさかわまちが生んだ偉人-031/093page

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きられるだけ生きたいと思う。それが自分の寿命で、その上を望むのは欲というものだ。」と言って、とうとう入れ歯をしなかったということです。富三は、母の生き方から人間を思いやるやさしい心、信念をつらぬくことの大切さなど多くのことを学びとりました。
富三のガンの研究は、母の影響が大きかったことを見過ごすことができません。
その母の遺体を、富三は自分で解剖しました。ちゃんとした医療を受け、天寿を全うできたかどうかを調べるためにです。そして、解剖後、富三は主治医はじめ周囲の人々に、「母は天寿を全うした」と、厚く謝礼を述べたということです。

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