あさかわまちが生んだ偉人-067/093page
5 働く人たちとともに
昭和三十年から三十五・六年にかけて、内田産業は大きな会社に育っていきました。その当時世界最大といわれたギアポンプ、ブルドーザ・パワーショベル用ギアポンプなど、たくさんの製品を開発して収入も多くなりました。また今までの東京、名古屋の工場に加えて、土浦にも新しく工場が建てられました。働く人の数も数十人から数百人に増えました。
このような大きな会社の社長になった内田稔は、どのような社長だったのでしょうか。
稔は「社長というよりは一職工であった」と自分自身を誇りに思っていました。
社長になっても、いつもナッパ服(働く人が
土浦工場