あさかわまちが生んだ偉人-071/093page
6 働くことが趣味
「私は、一生ナッパ服を着続けます。私がたおれるときは、油と汗にまみれたナッパ服のすがたで、機械とそう音の中であれば、それが最高のほこりだと思っています。」
昭和四十一年、一人の老人が多くの人を前におだやかな表情で、たんたんと話をしています。この人こそ、内田式油圧ポンプを世界的に有名にした、内田稔でした。
稔は、浅川町出身の人で、大変すばらしい活躍をしたので、名誉町民となったのです。そのお祝いの席で、稔は遠い昔のことをなつかしそうに話しています。
「私は、十六歳で浅川町を離れました。私は、小さい時から大きな夢をもっていたのです。人のできないものをつくってみたいと。しかし、東京に行ったからといって、すぐ自分の夢を果たせるものではありませんでした。しか
内田稔翁