あさかわまちが生んだ偉人-076/093page

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7 名誉町民 内田稔翁
内田稔は、明治二十五年(一八九二年)福島県石川郡浅川村大字浅川字本町三十四番地に、父惣助、母ヨネの三男として生まれました。
稔の家はあまり大きな農家ではありませんでしたが、田や畑は自分の家のものでした。しかし、農家の三男坊でしたので、家に残ることができず、自分のみちは自分で切り開かなければなりませんでした。
稔は、大きくなったら軍人になろうと思っていました。稔は体が大きく、ケンカも強かったのですが、友達思いでたいへんやさしい少年でした。友達が上級生にいじめられていると、彼は上級生になぐりかかり、友達を何回も助けました。浅川小学校を卒業すると私立石川中学校(現在の学校法人石川高等学校)に進学しましたが、いろいろな都合で退学しました。それで、彼は軍人になることをあきらめました。
中学校を退学するとすぐ上京し、技術者になろうと、大宮の鉄道学校に入学しました。
そこでいろいろな技術を学びました。そして明治四十四年(一九一

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