あさかわまちが生んだ偉人-085/093page
生活できますのは、社長が家庭生活を質素にし、経営に専心されたためです。組合に対しても理解と慈悲で接してこられました。…」と書かれていました。
昭和四十二年(一九六七年)、稔は従五位勲四等瑞宝賞という立派な賞をいただきました。これは、日本の油圧工業の発展に大きく貢献したためです。稔はとても喜びました。労働組合から贈られた感謝状と同じくらいうれしかったそうです。
稔は、「私は一生一職工です。ナッパ服を着て現場に入ると、頭が痛いのも治ってしまいます。」と言っています。それに、浅川町にいつも帰ってきました。会社を建てた時、仕事に困った時、外国に行ってきた時など何かあると必ず帰ってきました。そして、昔の仲間や親せきの人、町長さんたちと話をしました。また、それを楽し
叙勲を受けた社長