この住居あとには、4人でやっと持ち上げるほどの重さの石が、たくさんしいてあります。
この石を運ぶには、少なくとも6人は必要とされ、共同作業で運んだものと考えられます。
ここには、10数戸の家があり、力を合わせて生活していたことがわかります。
ここからは、縄文式土器のほかに、石皿やくぼみ石などが発見されています。
そのころの人々が、トチやドングリなどの木の実をつぶしてこなにするために使ったものと思われます。
石のやりや石のやじりは、シカやイノシシなどのかりに使われたものと思われます。
このほかに、土偶といって、土でつくられた人形も出土しています。
女性をあらわした人形で、子孫が栄えることを祈ってつくられたものと思われます。
敷石住居跡(堂平遺跡)
石皿 三春町西方前遺跡