三春の歴史-014/52page

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(2)三春と坂上田村麻呂の伝説(平安時代)

今からおよそ1200年前の平安時代は、都が京都にあり、貴族が政府の役人となって政治をしていました。
東北地方はそのころ、「みちのおくのくに」(陸奥国)とよばれ、京都の政府に抵抗していました。
それらを制圧するために、京都から「坂上田村麻呂」が征夷大将軍となって、この東北地方にやってきました。
9世紀のはじめの時期ですが、三春はそのころ、陸奥国安積郡として、今の郡山にあったとされている国の役所に治められていたので、この近くでの田村麻呂とのたたかいはありませんでした。
9世紀のおわりころまでには、東北地方の大部分が中央政府に支配されるようになりました。
三春にも、田村麻呂にむすびついた伝説がいくつも残されています。
田村天元神社、華正院馬頭観音、丈六仏、満願虚空蔵などのお寺や神社のいわれをはじめ、山や川、地名などにも田村麻呂のいわれが残り、古くから語りつがれてきました。
そのなかでも、子育駒、三春駒の伝説はあまりにも有名です。
この伝説は、三春駒のいわれについてのべてあり、実さいのできごとではありません。
実さいには、今の田村郡で田村麻呂との戦いはなかったので、田村麻呂と大多鬼丸のことは、三春駒の伝説として語りつがれてきたお話です。

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